なぜ?

おはようございます。

今日も有難うございます。

8月20日の日曜日です。

お休みを有難うございました。

明日、21日より診療を再開いたします。

明日は、お休み明けで来院が重なる可能性が高いので…

お時間に余裕を持ってのお越しをお願いいたします。

お休みの間に…

こちらを読んでいるという話を聞かれました。

よく、続けられていますね?

ご自分で書かれているのですか?

と聞かれることが多いですね。

自分で書いています。

続けているのは、気ままに続けてみようと思っているので続けられています。

続けることに意味があると思うので…

続けられることに意味があると思うので続けています。

健康やスポーツ、勉強、お仕事でもなのですが…

続けることで、できることや、やれることが広がります。

ということで、続けてみています。

実は、どれぐらい続いているのだろうか?

と思いながら、振り返ってみると、8年近く前から始めています。

あれ、こんなことを書いていたんだ?

あの当時、こんなことを思っていたんだ?

そんなことが、瞬時に思い起こせて、アクセスできるのが、電子媒体のいいところです。

車の試乗に行ったことや、映画やテレビドラマのこと、美味しい麺類のこと、腰痛とのつきあい方…

そんなことも書いています。

実は医療に関しては、そんなに書かないように努めています。

直接、お話をしたいからです。

ネットという媒体の情報は、正しく伝わらないこともあります。

なぜか?

情報が切り取られてしまったり…

受け取る方の状況により、正しく伝わらないことも多いからです。

この部分は、いくらAIが発達したとしても…

直接的に伝える場合と媒体を通じて伝わる内容には乖離があると理解をしています。

ということで、医療に関しては、ほどよく書かせていただいて、本当にご心配な方や不安な方は、直接、お話しさせていただきたいと思います。

また、医療のことを、あまり書かないことも続いている理由になっています。

また、個人の主観なので、つぶやくよく書いていることが多いですね。

あんなことがあったとか…

こんなことがあったとか…

こんな思いをしたとか…

こんな感覚をしたとか…

こんな思いがあるとか…

時には伝えたいことも書いているのですが…

伝えたいことの本質は、なかなか、伝わりにくいことも実感するこの頃です。

伝わる文章と思って書いていても…

切り取られてしまったり…

部分的に取り出してみると…

実は真逆に思われてしまう表現が入っていたりします。

例えば、会話ですら、そうですよね。

人間は、自分が聞きたい話や知りたい話は、認識しやすいのですが…

興味のない話や重要ではない話は覚えていなかったりします。

脳の中で、情報の交通整理をして話を聞いていることが多いのが脳の特性です。

文章もそうです。

意味ないなと思えば、読みませんし…

頭の中に残りません。

文章を理解をするには、それなりに労力も必要です。

ということで、映像の方が相手には伝わったり、脳の中に記憶として残りやすいようにも思います。

そうすると…

写真の多い雑誌や地上波のテレビ番組、もしくはYouTubeの方が、受動的ですし、受け取ることに労力は必要ではないので、一般的になるのも理解ができます。

話がメディアの考察になりましたが…

何を書こうとしていたのかというと…

なぜ続けられているのか?

気ままに、そのときに書きたいことを書いているから…

正確には、入力をしているからです。

気ままに思っていることを、言葉という形にして整理をしています。

そのとき思ったことを言葉にしてみている。

体験したことや、見たり、聞いたり、読んだりした情報を自分の言葉で整理をしている。

だから、続けられているのかな、と考察をしてみました。

考えてみれば…

小学生の夏休みの宿題の絵日記と同じなのかもしれません。

体験したことを、言葉にして、文章にして、時には映像にして伝えること。

その大切さと技術を磨いているということを無意識のうちに行っているということなのかもしれせん。

そういえば、学校の宿題の意味…

その昔は、わかっていなかったようにも思います。

宿題にも意味はあったようです。

ということで、明日から診療を再開いたします。

お休みを有難うございました。

明日からも宜しくお願いいたします。