千代の富士さんが亡くなった。
ショックだ…
言葉にならないぐらい…
私と同世代の方は同じ思いだろう。
小学生の頃、無敵だと思っていた。
強靭な上手投げ。
素早く前みつを取る立ち合い。
忘れられない。
分厚い胸板にも憧れたもの。
私がウエイトトレーニングに目覚めて、今も続けているのは、千代の富士さんの影響も間違いなくある。
あの千代の富士さんが亡くなるなんて…
現役のときの全盛期の活躍を知る世代は、みな、そう思うだろう。
後にも先にも、同じタイプの相撲取りはいない。
パワーとスピードと豪快さを感じさせる方はいない。
技はそんなにではないのかもしれないが、圧倒的にパワーとスピードか感じられ、華やかさと豪快さを感じられた相撲取り。
小錦や大乃国さんを豪快に投げ、転がす姿は格好よかった。
貴乃花に引導を渡されたとされる一番もライブで見たが、余力を残した引退。
皆に夢を残すために、早めの引退をされたのだと理解をしていた。
人は、誰しもが、どこかからの引退がある。
もちろん、人生そのものの引退もある。
ある程度の年齢になり経験を重ねてきたから、この事実は受け入れられるが、少し衝撃が残る現実。
今年は、好敵手の北の湖さんも鬼籍に入られて、思うこともありますね。
頑強な千代の富士さんとはいえ、引退後に身体を鍛える時間はなかったと思われる。
還暦の土俵入りの映像を見た。
60にしては立派だという意見もあるが、往年の頑強で分厚い胸板を知っている私としては、あら?という体躯をされていた。
お忙しくて、身体を動かす時間はそんなになかったのだろう…
また、身体を動かすということでは燃え尽きてしまったのかもしれない。
少しでも、身体を動かし続けていれば、もう少し違ったお身体であったと思う。
トレーニングをし続けていると、そのことは感じる私です。
やはり、トレーニングに引退はない。
人生にも引退はない。
そう思えるように、トレーニングの啓蒙と実践を続けたい。
トレーニングには可能性があるのは間違いがありません。
いくつになっても、豪快さとパワーとスピード。
そして繊細さと緻密さを持ちながら人生を楽しみたいもの。
トレーニングを行っていれば可能です。
千代の富士さん、引退後もトレーニングを行っていれば?
そんなことも思いました。
亡き千代の富士さんのご冥福を祈ります。