おはようございます。
今日も有難うございます。
青空、夏の空、俺の空の夏休み。
有難く、おやすみをいただいています。
気持ちがよく、雲も優雅に流れています。
これから、雨が降るとか、来ないとか…
台風が近づくとか…
そんな話も流れています。
ところで…
伝わる言葉、伝えたいこと。
伝わっている?伝わっていない?
聞く気がある?聞く気がない?
聞きたいことは何?
その人のやりたいことは何?
ふと、いろんな局面で考えることです。
物事を伝えるためには、人間ならば、当然、言葉を知っていなければなりません。
言語能力は必然です。
そして、人間ならではの能力であり、機能であり、特性です。
もちろん、知識も必要です。
経験も必要です。
物事を伝える上で、重要なのは言葉です。
では、伝わる言葉は何なのか?
経験に裏打ちされた熱い思いが伴った言葉です。
経験を補完するものが、知識であったりとかします。
そのために必要なことは、国語と読書です。
また、学ぶということは、すべて、ここに含まれています。
ここで、忘れてはならないことがあります。
伝えたい人が、その気がなければ伝わらない。
これが、言語コミュニケーションの重要な一面です。
伝えれば伝わるのか?
否なんですね…
聞きたい人、知りたい人でなければ、伝わることはありません。
実は、話を聞く方、知りたい人も、ある程度の知識が必要なんです。
経験も必要になります。
何らかの共通認識がなければ、コミュニケーションは成立しない。
これが重要な要素です。
だから勉強をしなければならない。
人間ならば…
ということになります。
人として生きないのであれば、そんなに学ぶ必要もないでしょう。
ですが、人間社会で生きていく。
社会性を持つのであれば、双方向性で、伝えて、理解をすること。
これが重要です。
だからこそ、言いたいことや伝えたいことだけを伝えていても、宜しくないわけです。
聞きたい話や読みたい話だけを聞いていても駄目なわけです。
知識と経験の幅を広げること。
これが、人として生きていく上で必要になってきますね。
なぜ、年輩の方や年長の方が敬われるのか?
それは、経験は決してマイナスにはならないからです。
だからこそ、知識人や年長者が社会の中で重責を担うことになる訳ですね。
確かに若い感性が大切ではありますが、真実や真理のジャッジは、知識や経験に裏打ちされなければ判断ができるものではないんです。
だからこそ、読んだり、聞いたり、学んだりすること。
大切にしたいものですね?
そう言えば、あのときの話を素直に聞いておけばよかった…
あのとき、あの頃、勉強をしておけばよかった…
そんなことはありませんか?
実は、大人は、そんなことをわかっているわけです。
だからこそ、何とはなしに、勉強をしておけ…
話を聞いておけ…
そんなことを言ったりとかする訳ですね。
ただし、話を聞きたくない人、やりたいと思うこと、やりたいと思えることがない人には、伝わらないわけです。
あとは知識も経験もない人には…
ここで大切なことは素直さになります。
素直さは、事実をありのまま、そのままに感じて、受け止めて、理解をすることです。
信用と信頼の上に成り立ちます。
信用と信頼がなければ関係は成り立ちません。
これも微妙なことで、事実や真理を誰が、何で伝えるのか?
このことも関係してきます。
誰が、どこで、どうやって伝えたのか?
事実を伝えたとしても、伝わらない場合もあります。
なぜか?
信用と信頼だけではなく、感情というファクターがそこには絡んでくるんですね。
だから人間関係って、簡単なようでいて、簡単ではないんです。
そこで、必要なことは感情の認知とコントロールになるわけです。
感情を挟まないで、物事を伝えるには、そのために文章が適切であったりとかします。
ただし、情報量に制限があります。
やはりリアルな情報伝達の情報量は文章よりもはるかに大きな量の情報をもたらします。
ただし、余計なことも伝わる可能性もあるわけです。
そこがコミュニケーションの妙ですね。
ふと、実は伝えるということを生業としているので、改めて、伝えるということを見つめ直してみました。
言葉を知り、言葉を学び、経験を積み、学習をする。
学ぶということは、すべてを含む言葉。
技術と知識も含まれます。
感情も含まれます。
その他、あらゆる事象が含まれます。
もちろん専門家としての知識の補充も継続することも含まれます。
これが優れた臨床医として重要と考えます。
ふと、真夏の朝に考えたことをまとめてみました。
まだ、有難いことにお休みは続きます。
この経験をプラスにして、お休み明けにお会いしたいと思います。