先日の某大学のタックル問題。
戦前の日本のようだと考察をしたこともある。
何を目的とするのか?
そこが明確になっているのか?
大事なところ。
日本の体育会系の運動部は、実は歴史を遡ると、軍隊教育に通じるものがある。
確かに、目的が明確で勝利のみを目指すのであれば、闇雲に指示に従うことも、ある意味では必要になる。
また、勉強や学習、手技の習得ということでも、ある時期は盲目的に従い、真似をしてみることも必要な時期もある。
真似をして技術を学ぶ時には重要だ。
大切なことは、その真の意味を知ることが大切。
理論は後から!
と言われることは多い。
確かに短時間で技術を習得するには、闇雲に真似てみてから、わかることも多い。
そのためには、やらなきゃ駄目だよ?
ペナルティもあるよ?
という、某国のようなスタンスも必要になることもある。
ただし、今の情報化社会では、そうもいかない。
本当に大切なことは…
事実や現実をありのまま、そのままに見れる目を持つこと。
闇雲に従うのではなく、何故なのか?
そこをピュアに説明ができること。
理論的なことを学ぶのは、実は時間がかかったり、面倒と思うことも多い。
非効率であったりとかする。
学ぶためには、基本的な言語能力や国語力も必要になる。
だからこそ、時間がかかったり、学んだ結果に差が出やすい。
だから、日本の体育会系のコーチは、そこを端折ってきて、結果至上主義により、つべこべ言わずにやってみろという文化になってきたのだと思われる。
教える方も、教えられる方も、説明ができることが大切。
何故なのか?
どうしてなのかを、わかるように、理解できるように、お互いの言葉で確認し合えることが大切。
素直さとは?
闇雲に従うことではない。
事実や現実を、ありのまま、そのままで、観て、聴けること。
心や視界にフィルターをかけることなく、みて、聴くことがてきること。
これが、本物の素直さ。
これからの日本の体育会系は変わることを求められるだろう。
今回の問題は、某大学だけの問題でも課題でもない。
素直さを、改めて、考え直す必要性がありそうだ。
本質を観て、聴く力。
これがないと、実は、これからの情報化社会は、益々、差が出てくると思われる。
素直に観て、聴くということの本質を、もっと学校で、教育で、そして社会全体で必要になってくると言われる。
ネットの情報も便利なのだが、実は断片的な情報であったりとかする。
そこを履き違えたままだと、まだまだ、某大学のタックル問題と同じような事が、他の場面でも起こってくる可能性がある。
本物の素直さを!
これから、求めらることですね!