居場所?

おはようございます。

今日も有難うございます。

明るい木曜日が始まっています。

冬の木曜日は景色が明るくなってきています。

乾いた空気が景色を輝かしてくれます。

それがいい冬の楽しみです。

最近、聞く話で、居場所を作るということを聞きます。

お休み中に、他業種の専門職の方と話すことがありました。

自分の居場所がわからない。

自分の居場所がない。

そんな話を聞きました。

実は、家庭や学校で教えてくれることが少ないようです。

映画やドラマを見ていても…

自分探しであったり、居場所探しであったりとかする内容が多いようです。

そして、受身の内容が多いですね。

今の情報化社会は、ともすれば受身になりがちです。

また、情報の発信も容易になっていますが、情報の信憑性や根拠も問題になることがあります。

これだけ情報が溢れてくると、選球眼が必要になりますね。

反射的に判断をすることも必要になりますね。

ただし、物事を判断するためには、判断の根拠になる基本的で基礎的な知識や経験が必要になります。

学校で教えてくれることが、基礎的、基本的な知識です。

基本的なことがわからなければ、基礎的なものがなければ、正しく、適切な判断をすることができません。

現代の情報化社会で問題になっているのは、この部分です。

基本的、基礎的なものを、吹っ飛ばして、応用をしようとか、できるようになりたいと思ってしまうこともあるようです。

基本的なことや基礎的なことは、実は学校ではなく、家庭や学校に入る前に身につけておくことなのかもしれませんが…

そこを吹っ飛ばして大人になってしまうことが、現代社会では多いようです。

パワーハラスメントの問題だとか、個人の尊重の問題が複雑に絡んでしまい、学習することなく時が流れていくことも多いようです。

個性の尊重や個性を活かすために、と言われることもあるようです。

実は個性も大切なのですが、個性を活かす前に必要なこともありますね。

社会に出てから、基本的なことや基礎的な部分を知って、身につけようとすることは、プライドが邪魔して容易ではないようです。

そうこうしているうちに、自分の居場所が作れなくなってしまうことがあるようですね。

自分の居場所を作るために、自分の居場所を見つけるために必要なことは、実は基礎的なことや基本的な知識、そして、世の中で常識と呼ばれているものであったりとかします。

常識なんて関係ない。

個性を伸ばすためには、常識なんて必要ない。

そう、うそぶく大人もいます。

実はそんなことはありません。

例えば、箱根の彫刻の森美術館にあるピカソ館に行くとよくわかります。

晩年のピカソは、前衛的なモダンアートのような、へんてこりんとも思える人の顔の作品を多く発表していますが…

若いときの作品は、基本的なデッサンを尊重した作品を多く残しています。

能や狂言の世界でいう、守破離です。

きっとピカソも居場所を見つけるために、考え、悩み続けていたのでしょう。

きっと、誰も教えてくれないし、作ってくれません。

自分の居場所は自分で見つけて、自分で作るしかありません。

また、私の話していた専門職の方も、基本的なことを見直して、見えてくることが広がったと話をされていました。

実は、学校で学んでおくところにヒントがあったとのこと。

そういう意味で、学校教育や学校の現場で学んでおくことは重要なようです。

もっと突き詰めていくと、学校に入る前から知っておいた方がいいこともあるようです。

それなりに、その世界で一流と言われて、トップランクの支持を受けている方とのお話は、実に刺激にあふれていました。

そんな方から、居場所探しと、基本的なことと基礎知識の重要性、常識の重要性が語られると、改めて、人間の学習や成長と社会について思うことや考えさせられます。

年齢を重ねて、経験を重ねてわかることがあることも、理解ができるこの頃。

人生はいくつになっても刺激にあふれています。

脳にも筋肉にも骨にも血管にも刺激を与えて、もっと人生を楽しみたいですね。

刺激は程々がいいようですが…

人生もほどほどに楽しみたいですね。

さあ、冬の景色は輝いています。

人生も輝いていますね。