35年目は?

出身医局の先輩が医局を退局された。

今日は、その先生の慰労会でした。

私が入局をされた時の医局長の先生。

この先生を始め、何人かの先生に口説かれたのがきっかけ。

でも、今では、よかったと思っています。

いま、開業医として仕事ができているのは医局の教育があったからです。

そうそう、そう言えば同級生にも誘われた。

卒業をした大学とは違うの医局に行くことは、決断と冒険であった。

当時としては大きな決断であった。

いま、医局の近くではないところで開業をしている。

ということで、違う大学の医局の方々にお世話になることが多い。

違う大学では違う個性と教育がある。

自分にとっては、出身医局の教育と研修はマッチしていたと確信している。

お世話になって退局をされた先輩は関連病院で手術の手伝いや指導を中心にして仕事を継続されるとのこと。

手術も堅実な先輩なのですが、患者様との関わり方や距離の取り方も学ぶところが多い先輩。

お酒を飲むと、途端に無礼講になられたのも良い思い出です。

随分と前になりますが、関連病院に出向中に名誉教授と共に伊豆の温泉旅行に参加をしたことを思い出します。この温泉旅行の企画は先輩がされたものでした。

私が飲めないお酒をいただき、諸先輩方と楽しく絡みながら沈没したのもよき思い出です。

その時にバトルをした、一つ上の先輩も、今は大学で頑張られています。周りからは仲が良くないとも思われているかもしれませんが、そんなことはなく仲がよい先輩ですね。

退局をされた先輩から話が逸れました。

怪我で短くなった脚を脚延長という技術を用いて患者様を救われていらっしゃいました。怪我で脚が短くなるというのは、患者様にとっては悲劇的なことですが、脚延長という技術は多くの患者様が救われていました。

私が医局を離れて十年が過ぎますが、機会に応じて声をかけていただいていました。

上の者が下の責任を持つという伝統。

現代社会では煩わしい?と思う人もいるかもしれませんが、どんな人材でもついてくれば、一人前にするという気概は感じました。

そういう意味では素晴らしい医局で育てていただいたと思います。

当時、医局長であった先輩は、今の私の歳よりは若かったわけで、それはそれで、大変であったのではと思います。

臨床だけではなく、私たちの面倒をみて、また医局としても転換期でした。

中にいても、外から見ても、激動の転換期であったと思います。

そんな中、医局長として、上の先生方にも、そして私たちにも配慮をしていただき有難く思ったものです。

医局に入局されて、35年とのこと。

お疲れ様でした。

さて、私の35年目は、どんな感じだろう?

そんなことも考えるひととき。

さあ、私も35年目に向けて頑張りたいと思います。

開業医としてできることをやりたいと思います。

やれること、そして、やりたいことはまだまだあります。

私は私の立場で患者様のお役に立ちたいと思います。

さあ、明後日から、やっちゃいます!