日曜日の夜に放送をされている「ごめん みんな ぼけちん」
いや違った「ごめん 愛してる」
つい録画をされてしまっているので、観てしまっている。
途中で、みんなのぼけちんぶりに気がついてしまったのだが…
前回ぐらいから、ああ、なるほど愛ってそういうことだった…
という内容に変化をして、主人公の二人が際立って観えるようになってきました。
愛のある関係は、そこに嘘がない関係です。
何らかの嘘がある限り、そこには愛がない。
そんなことを感じさせてくれます。
もちろん、愛するがゆえに、嘘をつく場合もありますが…
実は、愛って曖昧なもので、人それぞれで、愛の感覚は異なるものです。
愛の深さによっても、その感覚は違ってくるのかもしれません。
本物の愛は、死んでも守りたいもの、と過去は教えてくれていますが…
今回は、最終回の前のお話。
最終回の前の日本のテレビドラマは、これでもか?
という感じで、最終回を際立たせる演出を施される。
それが、テレビドラマを臭く、非現実なものにしてしまっている。
主人公以外の、登場人物を、これでもか、というほど、だめちんぶりを際立たせていく演出。
今回のドラマは、某国のヒットドラマのリメイクと聞いている。
それを理解をしているとこのドラマは理解ができるが…
やはり、ありえない話にドラマ性を感じて、カタルシスを覚えるのかもしれない。
やめようかと迷いつつも、つい録画だしいいかと思いながら、貴重な時間を費やしてしまう。
無論、録画だから、コマーシャルをぶっ飛ばしながら観るわけで…
実はそんなところも計算しながら、作られているのも、今の日本のテレビドラマの陳腐さに一役買っている。
さあ、最終話は、どうやってまとめるのか?
原作とは違うとの噂もあるようだが、日本のテレビドラマ制作の真価が問われるだろう。
このドラマ、落とし所で、記憶に残る作品になるか決まってくるだろう。
一応、ヒントは、初回の冒頭で表現されているのだが、果たして、そこの部分を反映させた話にまとまっているのか?
続きは、秋の夜長の日曜日になりますね?
生きていることの意味は?
何かのため、誰かのために命を燃やしているか?
ということだと思うのは私だけではないでしょう。
さあ、最終話も観てしまいますが注目です。